斬新なアレント像
森分大輔著『ハンナ・アレント研究:〈始まり〉と社会契約』によせて
加藤 節 
(かとう  たかし・成蹊大学法学部教授)

特定の思想家や思想潮流の研究が盛んになり、関連する書物や論文が次々に「生産」される事態に「インダストリー」という言葉を付す言い方がある。それが、正確にいつ頃から使われ始めたかは定かではない。しかし、私的経験から言って、それは、一九七〇代後半にはすでに定着していた。当時、例えば「ホッブス・インダストリー」とか「ロック・インダストリー」とかといった言い方がよくなされていたからである。もちろん、そこに、研究が流行に左右される傾向に対する揶揄や危惧の念が伏在していたことは否めない。しかし、同時に「インダストリー」という言い方は、新しい研究地平が開かれることによって研究の「生産性」が著しく高められた状況を示すものでもあった。ホッブスやロックをめぐる「インダストリー」は、Q・スキナーによるホッブス研究やJ・ダンによるロック研究といった「新しい思想史学」の成果がもたらしたものであったからである。

私が見る限り、思想史学は、ホッブスやロックに関する「インダストリー」の波が一定の落ち着きを取り戻した後、さらに二つのそれを経験した。一つは、J・G・A・ポーコックが長い間忘れられてきたシヴィック・ヒューマニズムの思想的伝統を掘り起こして以来にわかに活発となった「リパブリカニズム・インダストリー」である。それは、ルネッサンス期フィレンツェに端を発し、近代のイギリスを経て独立革命期のアメリカに至る壮大な思想の歴史を再現しようとするドラマの競演であった。しかし、その「リパブリカニズム・インダストリー」は、現在、ある種の反省期に入っていると言ってよい。そこでは、「リパブリカニズム」の重要性を強調するあまり、例えば、アメリカ革命に対するロックの思想的影響を無視するような行き過ぎを冒してきたのではないかといった自覚が生まれ始めているように見受けられるからである。

それに対して、この三十年ほど、主として、アメリカ、そして日本の思想史学界において、ほとんど途切れることなく成長を続けてきた「インダストリー」がある。H・アレントに関するそれにほかならない。実際、浩瀚な伝記を含む夥しい数の本や論文が中断することなく世に問われ、また、例年開かれる内外の学会でもほぼ例外なくそのセッションが組まれるアレント研究のこのところの活況ぶりは、文字通り「アレント・インダストリー」の興隆と呼ばれるにふさわしい。では、なぜこのようなアレント・ブームが巻き起ったのであろうか。端的に言って、その理由は、世紀末に向けて二十世紀とは何であったかを批判的に反省しようとする動きが強まる中で、アレントがその一つの焦点となる宿命を帯びた哲学者であったことに求められるであろう。アレントは、全体主義体験を経た人間の存在論的状況の解明を生涯の課題とした点で、二十世紀をもっとも鋭角的に体現する思想家の一人であったからである。しかも、その点とも関連して、「アレント・インダストリー」を後押しするもう一つの思想状況があった。帝国主義や植民地主義をヨーロッパ近代が生み出した「理性の野蛮」として告発し、批判しようとするポスト・モダニズムやポスト・コロニアリズムが、独自な仕方でヨーロッパ近代の思想的伝統の相対化を図ったアレントへの関心を寄せたことがそれである。

こうした背景の下に推進されてきた「アレント・インダストリー」は、少なくとも次の二つの事態をもたらしたと言ってよい。一つは、『全体主義の起源』・『人間の条件』・『イエルサレムのアイヒマン』・『過去と未来との間』・『精神の生活』といったアレントの生前に出版されたもの以外の著作がM・マッカーサーやK・ヤスパースとの交換書簡を含めて続々と刊行され、アレントの全体像を描くために必要な資料がほぼ出揃ったことである。その結果、第二の事態が生じることになった。それは、限られた資料から構成されてきた従来のアレント像に次々に修正が加えられ、時には相互に背反さえする多種多様なアレント解釈が並存する研究状況が生み出されたことにほかならない。

このたび上梓された森分大輔氏の待望の労作『ハンナ・アレント研究』は、このような研究状況を背景にしている点で、最初から上記二つの事態に対応する二つの大きな課題を背負わされることになった。一つは、公刊されて利用可能となったすべての資料を渉猟することである。これは、資料の整備が進んだ状況から言って当然のことであった。もう一つは、多くのアレント解釈に対して、独自のアレント像を提示することであった。多様なアレント像が交錯する中で、どのようなアレント像を提示しうるかに思想史家の全力量がかかっていたからである。森分氏の今回の作品は、こうした二つの困難な課題を高い水準で見事に達成していると言ってよい。まず、巻末に付されたビブリオグラフィーが示すように、アレント自身の著作についても、アレントについて書かれた文献についても、森分氏の視線は過不足なく注がれている。しかも、そうした丹念な資料分析を通して、森分氏は、斬新で説得性の高いアレント像を提示することに成功した。アレントは、全体主義による「世界喪失」を克服するために、何かを「始める」人間の「活動」能力に信頼を寄せつつ、新たな政治体の設立とその歴史の開始とを社会契約の理論形式に立って展望した社会契約論者であったとする氏のアレント像は、従来にまったく例のないものであり、しかも、「始める」能力を重視するアレントの人間観から言って十二分な信頼性をもちうるからである。

このように、多様なアレント解釈が並存する「アレント・インダストリー」の中で、緻密な資料分析の裏づけの下に「社会契約論者アレント」という新しいアレント像を説得的に造型してみせた森分氏の作品が、狭い学界の枠を超えて、現代に関心を寄せる多くの読者に読まれることを心から期待したいと思う



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